明治政府は、日本の近代化をめざし次々と改革を断行した。その中心にいたのが西郷隆盛である。
この改革は、士族の特権や誇り・生活基盤を奪う事になり、各地で反乱が続いた。
特に明治維新に尽した旧薩摩藩・鹿児島県士族の反発は激しく、県内では薩摩藩時代の旧制度が依然として残り、政府の力が及ばない、独立状態に近い形になっていた。
そんな最中の明治6年、西郷をはじめ政府・軍に出仕していた多くの士族が、政変で政府に失望して辞職。鹿児島県へ帰郷する事件が起きた。
これによって、鹿児島士族の反発機運は一総高まることになる。
帰郷した士族たちの中で有力な者は政府に不満はあったが、決起反乱は政府に有利にしか働かない事を知っていたので、反乱を防ぎ、事ある時には堂々と政府渡り合う、新しい時代に適応する教育が必要との気運が高まり私学校を創設した。 |
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