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熊本の丸山様より、菊池の戦いについてご投稿いただききました。
近所の郷土史家(城さん)宅で、西南の役(西南戦争)・菊池の戦いの話を聞かせていただきました。
写真のは城さん所有、の官軍(政府軍)・フランス製ブロードエル砲弾です。重かった・・・・。
田原坂の北、山鹿で政府軍と戦っていた薩軍第4大隊(桐野利秋指揮)は、田原坂で主力が敗れた為、菊池(隈府)方面へ陣を張りましたが、激戦の末敗れました。この戦いで官軍38人、薩軍(宮崎・飫肥隊、熊本協同隊ほか)の300人以上の戦死者を出したそうです。
薩軍兵が埋葬された墓地はこれまで全く不明でしたが、郷土史家の尽力により15年前、菊池の寺院・音光寺住職記録により、渕園墓地(菊池市・高の瀬区)の楠を墓標に埋葬された事が判明しました。
私の家から近くなので、直ぐにわかりましたが、確かにそれらしき楠木がありました。 |
城さんいわく・・・「確かに田原坂は有名バッテン(だけど)、菊池も激戦があった。薩軍は賊軍て言うバッテン、私は西郷軍と言いますタイ(よ)」との事です。当時城さん宅は、官軍陣営として利用され、薩軍との交戦で、多数の弾痕があったそうです。(城さんの祖父談)
また当時官軍は食料など略奪同然であったが、薩軍兵士は知識学分があり、礼儀正しく軍札でニワトリ1羽を購入。「終戦の折は、きちんとした貨幣で改めて支払いに伺う」・・・・との話があったそうです。(2006.4.13 投稿)
丸山様、取材いただきましてありがとうございます。郷土の歴史を研究される方のお話は貴重です。文献・書籍では得られないものがありますね。 |
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